14件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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長岡市議会 2022-12-08 令和 4年12月定例会本会議-12月08日-03号

深谷市では、同市出身渋沢栄一の名著「論語算盤」にある、道徳経済が一致しなければ仕組みや経済は長続きしないとのモットーに通ずるものとして、地域経済循環の向上と地域課題の解決を目的にデジタル地域通貨を導入し、地域一丸となって持続可能な地域経営を実現することを目指しています。

燕市議会 2022-06-15 06月15日-一般質問-02号

ただ、重要なことは、渋沢栄一の「論語算盤」だと思うんですけれど、やはり道徳経済が調和していくということ、そこを忘れては駄目なんだろうと思いますので、その点をしっかりと学校現場でも教えてくれることを私としては期待したいなと思っています。 ◎教育長小林靖直君) おはようございます。私からは、1の(2)の③、学校教育について、燕市の子供たちに対する方針についてお答えいたします。  

五泉市議会 2021-03-01 03月01日-議案質疑-03号

また、議員各位の皆さんからですね、指導いただきながら、職員はやはり100分かるわけでないわけでありますので、日々成長していく過程のありようというのをやっぱり認識しながらですね、先週の話じゃありませんけども、倫理観を持って渋沢栄一先生ではありませんけども、やはり倫理観を持って、日々努力するということが市民のためになろうかと思っております。

新発田市議会 2020-08-28 令和 2年 8月臨時会−08月28日-01号

しかし、どういう大倉喜八郎像をお持ちであろうとも何であろうとも、日本明治期あけぼの期においてあれだけの経済貢献をした、渋沢栄一と並び称される人間である、そのことは間違いのない、私にしてみれば郷土のまさに偉人だろうというふうに思っているところであります。  その大倉喜八郎翁人物伝ともう一つ蔵春閣というのはまたもう一つ違うような気がします。

上越市議会 2020-03-19 03月19日-06号

その適切なものとして、前島記念館正面玄関右横脇に立つ渋沢栄一揮毫の前島密生誕記念碑の背面の碑文を紹介したいと思います。御存じのお方は、耐えてお付き合いいただきたいと思います。こう刻まれています。「日本文明一大恩人がここで生まれた。この人が維新前後の国務に功績の多かったほかに、明治の文運に寄与して永く後世に伝ふべきものは郵便その他の通信事業である。

見附市議会 2019-09-11 09月11日-一般質問-03号

つまり福沢先生から新紙幣一万円札の顔となる渋沢栄一が実践した福祉政策を財政的に成功させることは、我が見附市政にとっても多様性を含んだ最大の利益追求だと考えます。  質問いたします。現在見附市の地域包括ケアシステムグランドデザインをわかりやすく説明してください。  次に、現在当市ホームページ上にある見附市の地域包括ケアシステム資料を確認すれば、医療と介護の2つに大きく分かれております。

新発田市議会 2018-12-12 平成30年12月定例会−12月12日-02号

当時は、伊藤博文などの歴代首相渋沢栄一などの実業家を招いたと聞きました。さきの大戦で焼失した明治天皇の皇居、明治宮殿の造営に当たった大倉土木、現大成建設の方々がその宮殿を模したもので、当時の様式を残す大変貴重な建物であります。その蔵春閣は、新発田の奥深さと誇りを我々に取り戻させる未来への宝箱となることでしょう」というふうに記されておりました。

上越市議会 2013-12-13 12月13日-04号

同じような時期に、同じような活躍をされたほかの偉人たちはどうかということをちょっと調べてみましたけれども、深谷市の渋沢栄一さんは、それこそやはり日本郵政にかかわったり、東京ガスとか、証券取引所とか、そういったものをつくられて、前島さんよりもうちょっと有名でありますけれども、深谷としては、煉瓦というれんが会社をつくったそうです、深谷で、地元で。

新発田市議会 2012-06-13 平成24年 6月定例会−06月13日-02号

慈善事業では、社会福祉法人済生会創設資金寄附帝国劇場大倉集古館の設立、現東京経済大学を筆頭とした商業学校創設商業にも道徳が必要として学生を鼓舞しておりますし、渋沢栄一と相はかり、江戸時代から続く商人は身分が低いという風潮を解消するため、商人道徳倫理の確立のため、東京商法会議所、現在の商工会議所を設立しております。

上越市議会 2005-12-15 12月15日-03号

なぜ日本近代国家社会インフラ整備渋沢栄一と並んで偉大な貢献をされた密にこの地元上越市で光がなかなか当たらないのか。一つには、前島密業績が意外に知られていないんではないかということであります。大正11年生誕の地に建てられた巨大な石碑があります。碑銘は渋沢栄一の書であり、撰文には坪内逍遥会津八一が草案の作成に当たったということであります。次のような碑文がそこには刻まれております。

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